タグ別アーカイブ: 愛の日記

愛の日記 @ Drivemode | 想像力

ただ、僕の場合は、想像力がもっと欲しいなあ。相手の世界から何が見えているのか・見えていないのかを理解する想像力がもっと欲しい。単純に、多様な価値観を持つことが出来るようになればもっと楽しく生きられると思うんだよね。世界は広くて、いろんな人がいて、いろんな常識、文化、宗教、いろんな価値観があって、それぞれにいい部分があって、自分に合う価値観を広げていけたらとても楽しく生きられる気がしている。僕は昔から、できるだけいろんな国の人や、常識が合わないような人と接するのが楽しかったので、いつも多様性がある場所に身をおくようにしていた。僕の常識が通じない人たち話していると、とても発見が多くて、「ああ、この考え方はすごい!僕もそう考えよう!」とか思うこともあるし、自分自身の常識についてより客観的に見えるようになったことで、自分のことをもっと理解できることも多かった。もうその学びが楽しくて仕方ないというか。

だって、自分の常識で正義を振りかざしはじめた時点で、もうその人の世界はそこから広がらないし、新しい世界が見えることもないし、想像力の成長もないし、そのまま狭い世界で死んでくだけ。こんなにもったいない事あるかね。全盲の人には全盲の人にしか見えない事がたくさんあるに決まっているし、ベビーカーを押す親にはベビーカーを押す親にしか感じられない世界があるに決まっていると思っているし、わからない世界にはなんかこう言葉にできない尊敬がある。もちろん僕の想像力なんて大した範囲には及ばないけど、それでももっといろんな世界が見えるようになりたいと思ってます、いつになっても。

 そのほうが楽しいと思うよ。

引用元: 愛の日記 @ Drivemode | 想像力.

愛の日記 @ Drivemode | 想像力

誰しも自分の想像できる範囲でしか判断できない。だから、自分が想像できないことをされると、「相手が非常識だからだ」としか説明することができない。それはもうしょうがない事じゃないかと思う。

想像力というのは、力です。だから鍛えなければ得られないし、人によって実力が違う。その実力が想像できる世界・視野の広さを規定している。実力の及ばない、想像できない世界の存在など見えもしない。そこの世界に住む人の気持ちなんて当然わからない。そんなもんでしょう。

多くの人は、全盲の人がなぜ電車に乗らねばならないのかも、ベビーカーの人がなぜいつも子供をだっこできないのかも、なぜ満員電車を常に避けることができないのかもわからない。車いすに乗っていない人にとって段差など何の意味もない。鬱病になったことのない人に正論でがんばれという事の残酷さはわからない。ゲイじゃない人にそもそもなんでゲイが同姓を愛してしまうのかもわからない。わからないことを自分の常識で分析すると非常識だと思ってしまうのは、善悪の問題ではなく、どうにもならない実力の問題だと思う。

誰しも限界があるし、なったことがない障害をもった人の世界にまで想像力はなかなか広がっていかないよね。僕は全盲の人に「こちらです」とつい言ってしまったりして恥ずかしい思いをしたこともあるけど、それが僕の実力だったんだろうね。そんな感じで、多数派の人の一定割合の人が「全盲なら乗るなよ」とか「ベビーカーなら乗るなよ」とつい言ってしまうのもよくわかるし、少数派の人の一定割合が人権侵害の悪だと怒るのもよくわかる。みんながみんな想像力があるわけじゃないし、想像力がないと相手が悪である以外の解釈ができないのは仕方が無いと思うし、人格否定で解決しちゃいたくなるよねえ。(もちろん、社会的に弱い立場にいる人を強い人が叩くのは良くないとは思いますけどね。ただ、想像力がない人がちょっと騒いだところで社会に大きな影響はないんじゃないのかな。力なくして影響力なし。)

引用元: 愛の日記 @ Drivemode | 想像力.

愛の日記 @ Drivemode | 「どこどこにシリコンバレーを作る」というお話

「どこどこにシリコンバレーを作る」といった話を聞くと、上記の図のどこの部分の話をしているのか?というのが大事です。なぜならシリコンバレーというのはアメリカスタイルのVCが増えましたとか政府が特区を作りましたとかそういった個別の話ではなく、全体の話です。

これはバスケでいうと二つ目のNBAを作る!みたいな話で視聴者がいっぱいいるならできるんでしょうけどそんなにいないと一極集中しちゃうという事だと思います。ここでいう視聴者は資本市場であり、その中身は年金基金とかであって、彼らみたいなニュートラルな投資家のみなさんがシリコンバレーのサイズを決めているわけです。で、世界の資本市場レベルでみるとシリコンバレーというのは半径車で30分のちっぽけなエリアにとどまっており、それ以上のサイズに広がるだけの需要は資本市場はいまのところはありません。というのも、結局資本市場が見ているのはIRR(投資収益率)であって、必要以上に投資したらリターンが下がるだけである中、VCというのは上位5%~10%を除くと対してリターンが出ていないという世界で、そもそも一極集中は避けられないほどの規模です。そういった中で、あえてシリコンバレーの二つ目を作るとしてそれは資本市場の誰が求めているからなのか?というのが最初の重要な問いになるでしょう。

引用元: 愛の日記 @ Drivemode | 「どこどこにシリコンバレーを作る」というお話.

愛の日記 @ Drivemode | 「どこどこにシリコンバレーを作る」というお話

ちなみに、この規模が小さいがゆえに自然に起こった局地的な集中は、別に戦略的に作られたわけではありません。ITで成功しまくった人たちが増えるにしたがって、だんだん環境がイノベーションを起こして生活するみなさんに最適化されてしまい、もはやIT関係者以外の人たちには住みにくくレベルで謎の生活環境ができあがりました。やはりポイントはこの「利害関係者の種類が少なくなりすぎて、勝手にいろいろな環境が最適化された」ということであり、アメリカ自身も二つ目のシリコンバレーを戦略的に作ることはできていないわけです。結局、上記の図にでてくる様々なプレイヤーのうち、個別のプレイヤーがどうであっても環境としては変化していないわけで、だからといってみんながみんな、いっせーのせ、で、「一緒にシリコンバレーを作りましょう!」というのは難しいから、まだできていないということなんでしょうね。

ただまあやるなら、そこの地域にいるIT関係者以外のすべてのみなさんが激怒するような環境であることが大事だと思います。それが最適化ということであり、それが集中するということだから。

引用元: 愛の日記 @ Drivemode | 「どこどこにシリコンバレーを作る」というお話.

旅立ち – 愛の日記

「旗を立ててみて学んだこと」を3つ書いてみます。

ひとりぼっちで、「何かやります」という旗を立てるというのは、いざ自分でやってみるとわりと怖い事です。やばい。惨めに倒れたらどうしようとかいくらでも心配することはあるし。僕はベンチャーキャピタルファンドで多くのすごい起業家たちと時間をともにしてきたけど、いざ自分でやってみると、孤独の中で巨大なビジネスを作り上げていったCEOたちのことを改めて尊敬する。僕もまだまだわかってないけど、いろいろ含めて起業家ってのは根性いるわ。

けど、何かやりたいなら、旗を立てるしかない。立てないと誰も支えてくれない。

僕は旗を支えられるだろうかと心配していたが、それはそもそも間違った心配だった。夢がでかいほど、もとから一人の力ではぜんぜん支えられないのだ。僕ではなく、すごいチーム、すごい投資家といったみなさんが全体として支えられたときに安定して立つのだ。僕の役目は無理して旗を支えることではなかった。旗を立てて、まわりの人たちが勝手に支えたくなるような夢を描くことだった。

引用元: 旅立ち – 愛の日記.

夏祭り2013 自動車×モバイル 秘密プロジェクト – 愛の日記

「無理そうな事からやる」ポリシー

引用元: 夏祭り2013 自動車×モバイル 秘密プロジェクト – 愛の日記.

MBAとはどういう教育なのか – 愛の日記

MBAとはどういう教育なのか – 愛の日記: 最初の給料が高いからといって、日本の大企業に入っても、どうせ決断させてもらえないから、学んだ事を活かせるエキサイティングな職場じゃない。決断できないなら、変えられないし、でっかい夢を描けない。

MBAとはどういう教育なのか – 愛の日記

MBAとはどういう教育なのか – 愛の日記: 作業する立場から、決断する立場に切り替わったから給料が上がったのである。そして、優れた決断をするという事は、がんばって作業する事より、はるかに会社が儲かるようになる上で重要だから給料に反映される、という一般論を反映しているに過ぎない。

MBAとはどういう教育なのか – 愛の日記

MBAとはどういう教育なのか – 愛の日記: 結局、「何が正しいのか」ではなく、「お前ならどうするんだ」と聞かれている。

「お前ならどうするんだ」

「お前ならどうするんだ」

「お前ならどうするんだ」

MBAとはどういう教育なのか – 愛の日記

MBAとはどういう教育なのか – 愛の日記: 教授陣がこういう極論を使った教え方をするには理由がある。議論の両極端を押さえないと、議論の地図の全体を描けないからである。