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ライザップの健康被害隠蔽やらブラック企業やらの話: やまもといちろうBLOG(ブログ)

なお、私自身は栄養学にはまったく詳しくありませんが、入手したライザップの食事指導の内容をもとに栄養士さんたちが判断するには、一日あたりのカロリーが決定的に不足する場合があり、痩せて当然という見解ばかりが出てきます。もちろん栄養失調やホルモンバランス異常になるようなケースは少ないだろうとのことですが、むしろ、ライザップの契約期間中に意識障害(過度な眠さや疲労)が出る会員さんは実は多いのではないかという印象をもたれるケースが多いようです。実はそれは過度な食事制限ダイエットによる健康被害そのものなんじゃないかと私なんかは思うわけですが、どうでしょうか。

逆に言えば、このビジネスモデルで急成長するのが分かっていて、しかし大手のフィットネスクラブその他が似たようなビジネスに参入しないのは、トレーニングと食事療法の組み合わせで時間をかけて体質改善をし、急激には痩せさせないで長くスポーツに慣れ親しみ食事を改善することによって末永く健康であるようサポートするのが正しいと考える会社が多いからです。

「もし『二ヶ月で10kg落としました』というのが本当に望ましいダイエット方法であるならば、とっくに参入していますよ」というのが業界関係者から聞かれたとても特徴的な台詞でありましたが、ぜひライザップを運営する健康コーポレーションにおかれましては週刊新潮を営業妨害などで提訴したりして騒ぎを拡大して心行くまで殴り合っていただきたいと切に願う次第であります。

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「中に溜める」ときと、「外に発散する」ときと: やまもといちろうBLOG(ブログ)

私としては、自分の中に何事か溜めていくプロセスと、誰かと繋がって発散するプロセスとの均衡が保てないとややこしいことになるんだ、という結論に落ち着きます。溜めたままでもタコツボに入るであろうし、SNSにどっぷり漬かっていても単なるネット廃人であろうし、入力と出力を高めあっていかなければデジタル時代にネットに繋がっている意味は乏しいだろうと感じるわけですね。

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市場の縮小に比べて新聞社が多すぎる問題: やまもといちろうBLOG(ブログ)

例の読売新聞の「攻勢」について、物議を醸していたという話を耳にしましたけれども、日経との協調策であったANYが崩壊し、通信社の再編もすぐにはむつかしいとなった段階で、どこかで「全国紙同士の潰し合い」という読者のパイの争奪戦になるのは当たり前のことだと思うんですよ。

これは、電通が出している調査資料でも明らかですし、発行部数が減少し、新聞への広告出稿も右肩下がりだ、というところから見ても、このビジネスモデルはいったん終焉に導かれることを前提に椅子取りゲームになるのは皆わかっていたことじゃないですか。

ただ、ビジネスの面から語るべき論点は2つあって、簡単に書けばこんな感じです。

1) 死ぬのは輪転機を回して印刷された新聞を配るというシステムというだけ。しっかりとした能力に裏付けられた新聞記者や、彼らの手による記事が死ぬわけではない。単純にメディアの問題。

2) メディアの問題は読者の問題。読者のリテラシーが「紙で印刷された情報を読み理解する」世代が年齢と共に引退し、減少していけばそれだけ裾野は狭くなるが、いきなりゼロになるわけではない。

その結果、紙で印刷された新聞記事による利幅はとても高いが、他のメディアで伝えられる新聞記事はそのクオリティを担保するに足るだけの利益を生み出さないので問題になっているに過ぎません。

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善意は興味でできている: やまもといちろうBLOG(ブログ)

何より、これからの社会保障の問題は私たち全員が直面する問題であって、氷水では絶対に解決しない衰退と貧困との戦いであることを良く考えておかなければならない。それは、弱者にしわ寄せが行きますよという話と、いつでも私たちが弱者に転落する可能性があるんですよという話との両面なんだよね。

逆に言えば、何にコミットして、何にコミットしないかという判断を突きつけられる時代になるんだ。そして、コミットが得られなかったステークホルダーは崩壊する。ALS患者の影で、他の難病への民間からの寄付がちょっぴり減ったかもしれない。高齢化したある自治体は利便性故に投資の対象となり、その隣の自治体は消滅に追いやられるかもしれない。いつの間にか切り捨てられる側になる時代に差し掛かっていることを、氷水の議論をすると共に私たちは語る必要があるんじゃないのか。

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成功者とジレンマ: やまもといちろうBLOG(ブログ)

成功しても、だいたい連中は同じ悪事をする。金であったり女であったり。人は、うまくいったと慢心したとき、悪事を繰り返す傾向があると思う。そのかなりの部分は、子供のころから持っていたコンプレックスやトラウマが、成功によって何でも出来るという万能感、多幸感を引き金として、行動に溢れ出てくる。

そういう悪事を指摘して、しまったと反省するケースもあれば、そうでないケースもある。開き直られることもあれば、内容証明が飛んでくることもある。一口に「自分を客観視したほうがいい」といっても、やはり人間というものは見たいものを見て、自分に「なりたい自分」を投影する。

結局誰かの悪事を調べると言うのは、その人の生い立ちを辿る旅に過ぎない。母親から認められなかった少年時代、友達がいなくて寂しかった学生時代、己の負の感情が湧き上がって実行に移すきっかけは、たいていが金か、女で、その引き金を引くのは取り巻きだ。

なぜ茶坊主が増えるのか? 承認されたいからだ。こうでありたい自分、でもそうでない自分、それを制限してきた生い立ちと環境がコンプレックスを生み、成功した人の心を内側から蝕む。成功は成功で終わることが少ない理由は、成功者は全員人間だからだ。

いまはネットバブルで、たいした会社でもないのに人間関係やコネや先方へのキックバックでいい値段で売れるケースがある。成功者になったという気持ちになるかもしれないし、成功者同士の付き合いで馴れ合おうという低きに流れる人間が、立派に見える人たちの輪の中でいい気分になっている。だが良く考えて欲しい。その身なりのいい人たちは、貴殿ではなく、貴殿の財布にしか興味がないのではないか。

情報は、必ず漏れるように出来ている。知られていないと思うことでも、意外と見抜かれていて、調べ上げられていたりもする。己に問いかけて欲しいのだが、知られても問題ないと言い切れる取引を、人間関係を、人生を、送っているだろうか。

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あんまビジネス志向ではない独立をした人のほうが仕事に誠実なように思える: やまもといちろうBLOG(ブログ)

同じメディアで凄い能力を発揮した人たちが、ある意味勝負をかけた結果として見る分には物凄く興味を持つんだけど、「自前のメディアとそれを広げる仕組み」ってそこまで情報に生きてきた人を虜にさせるのだろうか、と読みながらぼんやりと思ったり。

一方で、仕組みオンリーで立ち上げた後で、そのまま外部資本を大量に導入して一気にエンジン噴かして伸びていこうとするGunosyやSmart Newsもある。このあと別のフェーズに入るかもしれないLogmiもいる。こうやって、新しいサービスを横に並べて、起業の経緯とか考えてみると、物凄いワクワクするんですよね。

数年後には忘れられている可能性も高いんですけどね。

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あんまビジネス志向ではない独立をした人のほうが仕事に誠実なように思える: やまもといちろうBLOG(ブログ)

身の回りでこのところの好景気もあって独立を志向する人が増えているのも事実だと思うんですよね。

ただ、いままで組織の中にいたり、渡り歩いていても何がしかのスキルを武器にプロフェッショナルで頑張ってきた人が、フリーになったり起業したりしているのを見ていると、あまりスケールしない独立の仕方をしていることが多いんです。

スケールしない、というのは、誰かが独立して、まあ凄い人なんだけど、組織の看板があるからその人に予算がたくさんついて、事業なりコンテンツなりが回っていたのが、そういう組織から飛び出た瞬間に人月幾ら、一山幾らの世界に陥る。で、仕事を大きくしようにも、その人だからそのクオリティが保たれていたわけで、そこに小僧が何人か丁稚していてもカネの取れる仕事量は増えないだろ的な。

例えば、尊敬する人で言うと安倍宏行さんが先日独立されて、ウェブメディアを作った。一個一個は面白いし、人選も良くできてるんだけれども、なんかサイトのバナーは被ってるしデザインがいけてなくて一時代前の仕上がりのままになってて興味深い。なんか、長年頑張ってきた人が路地横の店改装して喫茶店はじめた感じの佇まいなんですよね。

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数字を追って記事を書かず、本質を見極めよう: やまもといちろうBLOG(ブログ)

この手の呪縛から逃れるにはどうするのか? 結論は結構簡単で、数字以外で自分のしたいことを設定すること。読まれようと努力することは大事だけど、何人に読まれたかと考え始めると、際限なく煽らなければならなくなる。煽り続けなければ、数字は維持できないから。

また、炎上は炎上として、自分なりのクオリティを気にしていれば、あまり問題にならない。いろんな炎上を見てきたし、自分自身も炎上した経験があるけれど、幾つかしっかりと気をつける点を弁えれば、そのままウェブで「生き残る」ことはできる。馬鹿やアンチは見なければいい。ただ、PVやUUに繋がるアウトプットを、と頑張り始めると、鱸 (id:copiz)さんの懸念どおり煽りありき炎上上等でないとPVは取れなくなってゆく。そして、消費される側になって飽きられていく。うまく波に乗れないと数字が取れず、書く気力が失われる。これってブログを書くのも相場を打つのも似ているんだよね。結果にはこだわりたい、でも結果に振り回されると意気消沈したり、損が膨らんだとき手が粗くなる。さらに負ける。そんな感じ。自然体、平常心が一番だと私は考えております。

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シンガポールは日本の友人か、隠れた仮想敵か: やまもといちろうBLOG(ブログ)

短期的には、この進出ラグが身軽な犯罪者の逃避地としてのシンガポールという問題を引き起こします。シンガポール当局は事情をひとつひとつ知らなくても然るべき財産があって費用を拠出していれば、日本で何がしかの問題をやらかした人たちも受け入れます。むしろ、積極的に彼らの問題ある経済活動を覆い隠す可能性もあるわけで、ここ近年の租税事案でシンガポールがらみは香港以上の件数、金額の伸びになっているように見えます。

また、そういうシンガポールへの犯罪資金も含めた逃避を手引きするサービスが充実し始めている現状があるように見受けられます。もちろん、事件化までしてしまえば簡単に追跡するわけですが、そういう段階にまで至る前に歯止めをかけなければ当局としては齟齬を来たしてしまうので、「重大な事案ではない」と後回しにされた小粒な事案ほど放置され、社会的公平性が失われてしまうという問題を起こしているのでしょう。

「成長するアジア経済を取り込め」とスローガンを掲げるのは簡単ですが、犯罪者が日本で不当に稼いだ金を片手に高飛びをしたり、支払うべき税金を逃れるために安易な海外移住を志向する仕組みは国益にそもそも適いませんし、それを目当てに奨励する政策を取ったり隠れ蓑を積極的に提供する国や地域は日本にとって友人とはいえないという結論になるのではないでしょうか。

ちょっと言い方は悪いですが、ある意味で成長セクターに特化していることを利用して、日本の成長率や納まるべき税金が横取りされているとも言えます。そこには、流入する労働者の人権やマレーシア他近隣国の利益はあまりきちんと保証されず、フリーライダー状態になって手をつけられなくなる可能性もあるんですよね。

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ライフネット岩瀬大輔さん、余計なことを書いて華麗にエイプリルフール炎上を飾る: やまもといちろうBLOG(ブログ)

ただやはり岩瀬さんは杉村太蔵に似ている分、話の説得力が何割か減少するのは致し方なく、太蔵に言われたくねーよと思ったら岩瀬さんだった的な現象が常にライフネットの中に蔓延していると思うのです。

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